ドリップの外縁まで湯を注ぐなと言うけれど

 コーヒーなどのハウツー本には、よく「ドリッパーにセットしたフィルターの際までお湯を注がない。」と言われてる。ドリッパーは、円錐もしくは三角錐のような、下に行くにつれて狭くなっている形だから、ドリッパーの外側はコーヒー粉の層が薄い。結果として外側にお湯を注ぐと抽出したコーヒーが薄くなってしまう。という理屈でしょう。
 確かにそのとおりですけど、せっかく挽いたコーヒー粉にお湯がかからない部分が、しかも相当量あると、なんだかもったいなくてついついお湯を注いでしまう。これはわたくしが貧乏性だからなのだろうか。

 よく「500円玉大くらいの半径で、『の』字を書くようにポットから湯を静かに注ぐ」と言う。1人分なら500円玉大くらいでもよいだろうが、4人分程度になるとグラス程度でしょうか。いづれにせよ、ペーパーギリギリまでお湯を注いだらいけないのでしょう。まあ、好きにすれば良いのだけれど、やっぱりもったいなくて注いでしまう。要するにドリッパーの形を考えて注げ。ということなのでしょうが、コーヒーを注いだ後の出し殻の様が、控えめの注湯だと、無様というか美味しくなさそうだ。もう捨てるだけなので、そんなことどうでもいいのだが。

 抽出中の様だって、際まで注いだ方が美味しそうに見えてくる。あくまで私の個人的な考えだけれども。ペーパーギリギリまで注油して薄くなるのと、外側およそ10から15%程度のコーヒー粉には注がないのと、どちらがコーヒーが薄くなる(もしくは濃くなる)のだろうか。
 プロたちは皆ペーパーギリギリまでは注がないのだろうと思っていたけれど、身の回りのプロでも幾人かギリギリまで注いでいる人がいる。15%のコーヒー粉を無視しても至極の1杯がいいなら話は簡単だけども、勿体無いは嫌だけど、美味しいコーヒーも飲みたいから迷うのです。